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クリスマスが今年もやってくる

2011年12月13日 19:43

ある年のクリスマス、イエスがひとりイルミネーションの下を闊歩していると
一組のカップルが民衆から石を投げつけられていた。

なぜこんなことをしているのかと、イエスが民衆の一人に問うと、
「私達はクリスマスに予定がなく、彼らが妬ましいからだ」と答えた。

それを聞いたイエスは民衆にこう言った。
「ならばしかたがない。続けなさい」

そしてこう続けた。
「ただし、一度も恋人と共にクリスマスを過ごした事の無い者だけが、彼らに石を投げなさい」

民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れ
イエスと一部の残った人々は去っていく者にも石を投げた。
ふと思ったのだけれど、僕は今や完全なる非モテキャラとして愛され(貶され?)ているが、「モテない」というのはサークルや授業などで異性と断続的な接点を持ちながら、それでも恋人が出来ない人間のことを言うのではないのだろうか。僕のような、そもそも異性との接点がほぼ無い人間は、果たして「モテない」と言っていいのだろうか。

残念ながら、どちらにしろ結果は同じであった。
むしろ悪い…?


さて、今年もこの季節がやってきた。
一昨年の12月からツイッターを始めて、それ以来自称非モテ非リア充達による様々な妬み嫉み呪いの言葉を目にしてきた。かく言う僕もそういう内容の事を全く述べていないと言えば嘘になる。

昔はクリスマスが大好きだった。もちろんプレゼントのためだ。
うちは裕福でなかったから、おもちゃを買ってもらえる機会っていうのは凄く大事だった。
それが、気が付くとあの頃のワクワク感はどこかへ消えてしまった。
今でもクリスマスは嫌いじゃないけれど、プレゼントをもらえない立場になった分だと思えば仕方ない。

そこにきて、昨今のこの風潮ですよ。
恋人アリ=オーケー、恋人ナシ=死、みたいな。
そりゃあもちろん、僕だって女の子と一緒に居られるほうが楽しいに決まってる。
かといって、こんなオールオアナッシングみたいな理論はどうなんだ。
そりゃあもちろん、僕だって女の子と一緒に居られるほうが楽しいに決まってる。
かといって、こんな逃げ道を自分で塞ぐような考え方をしなくてもいいのじゃないか。

恋人もサンタもいないけれど、子どもの頃大好きだったクリスマスを嫌いにはなりたくない。

諸悪の根源はイエスキリストもそっちのけでいちゃつくカップル達、ではなく
寂しい自分の現状を呪詛の言葉にしかできない僕達の方だ。
クリスマスにカップルはセックスしてるけど、海の日だって憲法記念日だってしてる連中はしてる。
隣の部屋と下の部屋から営みの声が聞こえてくる僕にどうしろというのだ。
角部屋だからあとは上から来たらおしまいである。
オセロのように挟まれて裏返る?大音量でAVを観ればいいのか。
彼女を作れという突っ込みが聞こえてきますね。切ない。

とにかく、半端に妬みを述べられるのは見ていてあまり気分の良いものではない。
だったら毎日呪い続けろ。そうでないなら口を閉じろ。
だいたい、「クリスマスは中止だ―」とか「クリスマスは死ねー」とか言う人の何割が、過去に恋人とイチャコラした経験があるのか解ったものではない。そんな奴らは似非非モテだ。黙ってろ。
そんな「真の非モテと偽の非モテ」論争をしだすと僕自身の立ち位置が物凄く微妙になるのだけれど、まぁ非モテサイドに立ってもいいと思う。いいですよね。だめですかね。

支離滅裂になったけれど、要するに何が言いたいのかというと
恋人がいようがいまいがクリスマスは楽しく過ごしたい。






でも恋人がいないとどうすればいいのかわからない。
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