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余暇時間から考える労働日数最小化問題

2013年07月28日 16:35

なぜ人は働くのか。
序文
古今東西、飽きることなく投げつけ合いが行われてきたこの問題提起を、ここで繰り返すつもりはない。かわりに、本稿ではもうひとつ下のレジストリに属すると思われる類似の命題を、挙げてみよう。

いつまで働けば良いのか。

普通、労働者はその肉体的制約の許す限り、一日でも長く就労するべきとされる。特にこの日本においては、終身雇用制度という伝統的な社会慣習がそれをさらに下支えする。単純に生産高は労働時間の長さに比例するため、生産性が最適化されているならば、長く働けば働くほど利潤は増加する。ここではその理論的説明には触れないが、少なくとも社会的に見て、そうした共通見解が存在することは確かではないだろうか。
本稿では、ミクロ的視点からこの問いについて考えたい。極めて個人的な欲求に基づく最適化が、労働をどのように再定義するのか。その答えがどのような結果をもたらすのか。導出される答えは必ずしも意義のあるものとは言い難いかもしれないが、今一度厳密に考えてみることにこそ、意味があるのではないだろうか。

Ⅰ前提
まず、本稿がどのような条件に基づいて問題を考えるのかを明らかにする。
労働から得られる個人的な効用は様々だが、最も分かりやすく、かつ測定可能なものは賃金であろう。人は賃金を得るために働く、という答えは、冒頭の問題について一定の解答として通用するだろう。この解答はさらに、賃金の使途という問題に突き当たる。何のために働くのかという問題が、何のために賃金を使うのかという問題に書き換えられるわけだ。まず第一は生存のためであろうが、それ以外の目的となると個人差が大きく分析は難しくなる。
そこで、賃金を自由に使用可能な時間という概念を導入することで、この問題を考えることにしよう。賃金から得られる効用の量とは、賃金を自由に使用可能な時間であり、そのために必要な労働時間を導出することが必要である。賃金を自由に使用可能な時間を、ここでは休日(余暇時間)と定義する。

Ⅱ休日
Ⅱ-ⅰ性質
賃金を自由に使用可能な時間はどのような性質を持つだろうか。まず、使用できる賃金が存在しなければならない。無一文の自由な時間をここでは休日とはカウントしないことにする。また、賃金を有意に使用し自らの効用に変えるためには、ある程度の体力と行動の自由が必要だ。急な出勤の呼び出しの可能性が存在したり、仕事の疲れから何も出来ないような時間は休日とは呼べない。行動の自由は時間の連続性の影響を受ける。長期の旅行や娯楽は1日や2日の休日では選択できなくなる。
これらから、休日の性質は以下のようにまとめることができる。

1.十分な貯蓄(=使用できる賃金)がある
2.外的な制約を受けない
3.一定以上の長期性を持つ

これらの条件を満たし、最大化することが可能な休日とはどのようなものであろうか。それは、一定期間の就労によって貯蓄形成を行った後、退職することによって発生する。賃金は年齢とともに上昇する傾向にあるため、効率よく資産を形成するならば就労期間は高齢期が適しているようにも見える。しかし、休日の条件として体力や健康状態による制約を極力小さくする必要があるため、休日は人生においては若年期であればあるほど良い。そこで、長期性と使用可能な資金を確保しつつ、なるべく条件の良い休日を得るためには、就労後の退職が最も適しているのである。

Ⅱ-ⅱ日数
さて、ここでは、休日を退職後に貯蓄で生存できる日数としているが、退職せずとも休日は発生する。毎月の法定休日は前述の条件を十分に満たしているとは言えないため除外するが、一般的には盆と正月の長期休暇が存在するため、それらは前項条件に合致するものとみなすこともできよう。厚生労働省の調査によると平成24年度の労働者一人当たりの年間休日数は113.5日である。ここから週休二日として日々の週末休日を除けば残りは17.5日となる。(月あたり休日8日で計算)つまり、前項の条件に合致する休日は年間17.5日存在するということだ。
大卒で就職し、定年まで勤め上げた場合労働年数は38年。生涯現役の場合、休日数は17.5×38日=665日となる。したがって、退職後およそ1年10ヶ月分の貯蓄を得るために必要な労働日数が、本稿の論ずるいつまで働けば良いのかという問題に対する答えとなりうる。つまり、「労働者の生涯休日に相当する期間を生きるために必要な貯蓄を形成する最小労働時間はどれだけか」これが問題の本質である。

Ⅲ測定
では、これらの条件を用いて労働時間を算出してみよう。
労働日数L(Labor)における賃金をW(Wage)生活費をC(Cost)として、労働日一日あたりの賃金係数wおよび生活係数cのもとで貯蓄S(Save)は

S = W - C

= L*w - L*c

= L(w - c)

となる。
休日数665日に必要な生活費は665cであるからこれを貯蓄で賄えるだけの労働は

665c = S

= L(w - c)

L = 665c/(w - c)

と表すことができる。
例えば大卒初任給の手取り平均は平成24年度で20万1800円(厚生労働省)であるから1日当たり賃金はおよそ6700円。1日の生活費を仮に5000円とすると労働日数Lは約782日、およそ2年2ヶ月となる。

Ⅳ批判と修正
Ⅳ-ⅰ休日数の算定
ここまで、議論を単純化するため、多くの要素を省いてきた。そのため、いくつかの批判もありうるだろう。
まず、休日の算出方法についてである。就労期間における有意な休日数の算出において、法定休日(と付随する週休)を計上しないのは、やや強引ではないだろうか。週末には週末の喜びがあり、そこから発生する効用を全く無視することはできない、という批判である。さらに言えば、(日本企業では取得日数が極めて少ないとはいえ)有給休暇という形での休日も存在するため、それらもまた考慮に入れるべきである。企業が1年間に付与した年次有給休暇は労働者一人当たり平均18.3日であるが、そのうち実際に取得されたのは平均9日(厚生労働省平成24年就労条件総合調査結果の概況による)である。これらを加味していない年間17.5日という休日数は過小評価に過ぎるのではないだろうか。
例えば、長期休暇を趣味とする者であれば、週休はあまり大きな効用を生まない。逆に外出せずに行える読書などの趣味であれば、週末の休日でも十分な効用を得ることは不可能ではない。つまり休日が持つ第3の性質「長期性」がどの程度ウエイトを占めるか、という問題になる。長期性だけではなく、外部要因も休日の必要数に影響を及ぼす。したがって、休日数Hはそれらの要素に依存する可塑性のある物である。しかし、本稿ではそうした休日の再定義の可能性を提示するにとどめ、その考察は別に譲る。あくまで本稿において用いた665日という休日数は仮定の数字であると理解して頂きたい。

Ⅳ-ⅱ問題定義の恣意性
そして、最も大きな、そして致命的な指摘は、本稿の「余暇時間を獲得するための最小労働時間」という議論の方向がそもそも恣意的である、というものである。これについて反論するならば、労働そのものがもたらす効用について、そのマイナスの側面を提示したい。人間の労働力リソースには限界があり、また、様々な要因によってそれは摩耗する。であれば、そのコストを最小限にとどめることは理にかなっているのではないか。しかし、この反論は労働の効用を賃金によって測るとする前提に矛盾する。そして、本来あってはならないことだが、筆者はこの恣意的であるという指摘を認めざるを得ない。この点についての筆者の考えは次節に詳しい。

Ⅴおわりに
本稿は、SNSサービスTwitterにおけるある呟きに触発され書かれたものである。非公開アカウントのためユーザ名は伏せるが、そのなかで述べられた「1年半無職して死んだ方が良い」という一文が私の頭から離れなかった。既に述べたように、出来る限り労働時間を減らしたいという筆者の個人的な思いの上に書かれたものであることは言うまでも無い。したがって本稿は中立性妥当性に欠く考察である。しかしながら、現状の経験則として、労働が人間に与える様々な影響については、読者諸兄もある程度は聞き及びの事と思う。合理的選択によって労働に従事することで我々が苦しむのならば、合理的選択によって労働を放棄することは許されないのだろうか。当然ながら個人の効用最大化は必ずしも社会的な効用を増大させない。それでも、筆者は考えざるを得なかった。
なぜ人は働くのか。結局は筆者もまた、この問いに縛られていたのであろう。再び冒頭の問題に回帰したところで、筆を置く事にしたい。

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