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同情するなら金をくれ

2011年04月29日 00:28

余震の存在感がゴキブリ以下になってきてヤバイ。
地震が起きた直後ぐらいに、「街頭募金するくらいなら働いて給料全部募金箱にぶち込め」
みたいな事を言った。

何の力も知名度も持たない一般人が箱持って「募金お願いしまーす!」と声を上げる姿に、なんとなくこう、嫌悪、とまではいかずとも、違和感に似た感覚があった。
労働した方が量的にはたくさんお金を作れるのに、それを募金という行為にすりかえる事によって、身体を動かす労力を「私いまいいことしてる!」的な自己満足感に置き換えている、そんな風に見えた。

まぁ、相当うがった見方であるのは確かなんだけれども、とにかくそう思っていたわけ。
それにほら、誰に何を言うでもなく働いて、その稼ぎを募金するなんてカッコいいじゃない。


ところが、先日、仙台市内某所にて街頭募金を行う人を見て、少々考えを改めた。
中学生の合唱か何かをやっていて、それに伴って募金を呼び掛けていた(ように見えた)のだけれど、その透明なアクリル製らしき募金箱には、千円札(もしかしたら諭吉さんも!)が大量に入っていたのだ。
どう見ても、たとえ僕が3倍のスピードで労働したとしても、あれだけの金額を稼ぐには相当時間がかかる。


つまりこれは、今が震災後という「非常時」である事に起因している。
というかその前に僕は普段の募金で集まる額がバイト給料より低いものとして考えていたわけだけれど、まぁそれも本当かどうか解らないんだけれど、とにかく、このような稀にみる災害が起きた時、「募金」の意味は普段の何倍も大きい。

募金するインセンティブっていうのは、要するに自己満足感であって、「私いまいいことしてる!」感である。でもって、今のように震災が起き、募金の必要性が高まっている時には、いいことしてる感が大きくなる。
よって、気も大きくなり、募金額が増大するという、そういうことなんだと思う。

上手い事に、募金が必要であればある程、その効用がでかくなるようなメカニズムになってる。
これも神の見えざる手、か。


そういうわけですので、そろそろ皆地震云々が頭から消え去ってきてると思いますが、お金はまだまだ足りないらしいので、気が向いた時で構いません。
募金お願いしまーす。
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