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「はい、哲学的理由があります」

2011年07月19日 21:58

僕もマーヤを愛していました。
人は誰でも青春に憧れると思う。青春ってなんだかよくわからないけれど。
とりあえずなんか良さげなものなんじゃないかって思われる。
それが過ぎた過去であっても。今まさに目の前にありそうでなさそうな何かであっても。
最近文化祭があったって言う高校生達がいたものだから、すこし、考えた。
僕の青春はどうだっただろうか。
まぁ、それなりに充実していたはずだ。よく覚えていないけれど。

青春を主題にした小説が苦手だ。
どうしてそんなに輝いていられるのか。どうしてそんなに爽やかなのか。
僕の青春は充実していたと思う。思い出補正もあるけれど、決して悪いものではなかった。と思いたい。
けれど、決して本の中の青少年たちのように爽やかで晴れ晴れしたものでは無かった気がする。
なんとなく、だけれど。

米澤穂信との最初の出会いは、中学3年の時だったと思う。
母親が、おそらくは甘そうなタイトルに釣られて買ってきた『春季限定いちごタルト事件』。
面白かった。面白かったので、他の作品も手に入れた。なかなか見つからなかった。
そうしていつの間にかだいたいの著作は読みつくした。
だいたい他人に本を薦める必要に迫られた時は、必ず米澤が筆頭候補の一つに挙がる。
今のところ、それなりに打率は良くて嬉しい。

あの人の書く青春はなぜかすんなり受け入れられた。
なんとなく無気力ちっくな主人公たちが自分に近く感じたのかもしれない。
それもなんというか、今思うと痛々しいのだけれど。
そういう痛々しさが、爽やかでもない、輝いてもいない、無機質な質感の青春。
それでも「青春」には変わりなくて、自分の青春を無理やり重ね合わせたりしていた。

「これは恋なんじゃないかと思っている時点で恋」だと言う。
「青春ってなんだろうと思っている時点で青春」だとも言えると思う。
だとしたら、今もまだ青春できるのかな。
と思ったが、流石に21歳で青春するはいろんな意味ですこしきつい。

最近の米澤穂信は本格ミステリ寄りのものを多く書いている印象だけれど、そもそも本格が書ける力量を持ちながら平和な青春ミステリ(ミステリは外せない)を書いたのだから、そりゃ面白いわけだと思う。
最新作(だっけ)『折れた竜骨』はただのミステリに留まらない新たな方向性を見せてくれた。
鋭い切れ味のミステリも好きだけれど、やはり最初の出会いである青春ミステリもの「小市民シリーズ」「古典部シリーズ」の存在は忘れられない。
シリーズ続編を座して待つ日々だけれど。
「きっと10年後、この毎日のことを惜しまない」
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